麗<レイ>〜花萌ゆる8人の皇子たち〜を史実を元に紐解く!8人の中で王になったのは誰?

麗レイ花萌ゆる8人の皇子たち 史実

池に落ちた子供を助けようと飛び込んだコハジン、ところが行き着いた所はとんでもない所でした。

遥彼方に存在していた高麗時代、そして8人の皇子たちとは…。

麗花萌ゆる8人の皇子たちを史実に元に紐解く

麗レイ花萌ゆる8人の皇子たち 史実
(引用:http://mikanmikan00.hatenablog.com/entry/2016/09/25/150724)

そこは美し過ぎて悲し過ぎる所…個性豊かな8人の美し過ぎる皇子たちに囲まれ、ロマンティックでありながらも胸が切なくちても悲しい高麗時代の恋物語です。

テレビで放送された”麗花萌ゆる8人の皇子たち”と実際の内容はどう違うのか?

また、実在していた8人の皇子たちとはどんな人物だったのか?とその時代背景についても見て行きたいと思います。

高麗時代初期ってどんな時代?

麗レイ花萌ゆる8人の皇子たち 史実
(引用:http://busan.grandculture.net/Contents?local=busan&dataType=01&contents_id=GC04201276

新羅に変わり新しい王朝の高麗が918~1392年に王建(太祖)によって建国され、朝鮮は新羅、百済、高麗の「後三国時代」となります。

この三国の中でも高麗は一番安定していた王建でしたが、敵国の新羅と百済を滅ぼし遂には朝鮮半島を全て統一してしまいます。

王建は人としても厚い人格だったため、人々からの信頼も厚かったそうですが、一方では後百済だけを差別をする冷酷な一面もあったようです。

この後百済に対する差別問題は、現代の全羅南道出身者の差別問題にも深く関係があるようですね。

また外交面でも積極的に行動していた王建ですが日本との正式な国交には失敗、しかしその後、個人的に日本の商人と貿易活動をするようになりました。

ちょうどその頃、文化的な面では中国から仏教と儒教が入ってきますが、儒教に関しては独自の発展を遂げ、現在も人々の思考の基盤となっており、未だに根強く残っているのが特徴です。

他にも金属活字や高麗青磁器なども発達し、また英語のKoreaは当時の高麗(コリョ)が由来となってるんだそうですよ。

8人の中で王になったのは誰?

8人の美しい皇子たち!実際の史実では誰が高麗王に名君臨したのか?ご紹介して行きます。

第2高麗王ワンム(恵宗)

ワンムは高麗時代初代王、太祖と荘和王后である母親の間に長男として生まれています。

史実では第2の王となりますが、母親の荘和王后が中国からの帰化人ということと、高位家門の出身ではないために、王となるまでの間とても苦労が多かったようです。

しかしようやく高麗王となったにも関わらず即位2年で病死しているので暗殺説の噂も囁かれています。

第3高麗王ワンヨ(定宗)

父親は初代高麗王の太祖、ワンヨは太祖の2番目の息子として誕生します。

第4高麗王のワンソとは同じ母親から生まれた実兄弟で、ワンヨはワンソの実兄に当たります。

野心家として名高かったワンヨは、母親側の親族からの期待が熱くその期待に答えようとすることで敵を排除しながら第3高麗王の定宗となりましたが、強引なやり方で人々からの反発も多かったそうです。

在位後、わずか4年で亡くなったためその後、高麗王の座は弟のワンソに引き継がれることになりました。

第4高麗王ワンソ(光宗)

第3高麗王の光宗の実兄定宗の病死後、光宗はその後を継ぎ第4高麗王となりました。

949年~975年まで在位した光宗は、在位7年後には奴婢と呼ばれる身分制度を廃止し、階級の低い者たちの身分回復に努め、階級の低い者たちが耕してきた作物を支配していた豪族たちの勢力を排除、そして王権の強化に努めました。

これにより、高麗初期に国家の基盤を造った王として評価をされています。

しかしそんな光宗も975年7月4日に亡くなってしまいますが、後継者として光宗の長男である景宗が第5高麗王として光宗の後を継ぐこととなりました。

史実でのその後はどうなった?

「麗花萌ゆる8人の皇子たち」の物語は、実際の高麗時代の内容とテレビ用として作られたフィクションを織り交ぜて製作されました。

と言っても、8人の皇子たちが骨肉の争いをして行く場面などは、実際の内容とほぼ同じだと言われていますが、ワンソの顔の傷やヘスとの恋愛シーンは史実とは多少異なるそうです。

またワンソがいることで王宮に災いが起こるという占い師の予言に従った王と王妃は、ワンソを王宮の外に出すことにします。

本当に可哀想なワンソですが、それだけではなく王妃からの愛情もまともに受けることなく、悲しい気持ちを抱えながら育ったようです。

このように史実を見ても物語を見ても、ワンソの人生はかなり辛く悲しいものだったように感じます…。

ワン・ソの子が皇位を継いだ後は、ウクの子が皇帝になるんですよ。さらに、その先の歴代の皇帝を排出したのは、ペガの家系でした。

詳しくはこちらで紹介しています➡︎ウクは死ぬの?史実から見るウクの存在『麗花萌ゆる8人の皇子たち』

衣装


(引用:https://blog.naver.com/kshh3249/70068257676

100年もの間中国の元王朝に支配されていた高麗の国、当時の王や王妃の衣装は細部に渡るまでかなり中国の影響を受けていたようです。


(引用:https://tyms2016.shiga-saku.net/e1330650.html

濃い色合いや奇抜な装飾などを見ると、やはり多少なりとも中国の影響があったように思われますね。

https://twitter.com/yoccobaek/status/782228848008056832?s=20

こちらは「麗~花萌ゆる8人の皇子たち」で使用された衣装です。

男性の衣装は実際の高麗時代に着てた物より多少落ち着た色合いで、奇抜な装飾はあまり見られません。

(引用:http://blog.livedoor.jp/kotama0417/archives/2338596.html

https://twitter.com/aopanda0914/status/1282717894934056960?s=20

ヘスの衣装はこんなにカラフルで可愛らしい感じですが、高麗時代らしい清楚さも感じられますね♡

麗花萌ゆる8人の皇子たちを史実を元に紐解く!8人の中で王になったのは誰?まとめ

今回の麗花萌ゆる8人の皇子たちを史実を元に色々と比べて見ました。

このように史実と物語とでは多少の違いはあるものの、今のように自分の意思表示をはっきり表現出来る次代ではなかったようです。

また恋愛に関しても今のように自由には出来ず、そして色々なしがらみの中でただただ必死に生きて行く…そして、自然の流れに身を任せるしか出来ない、辛くて切ない恋も多かったのではないかと感じました。